ラトビア出張 - シンとした寒さに思い出す異国の地 -

ここ数日ものすごく寒い。

シンとした寒さの日には(今日は時折突風吹いていましたが、)10年程前に行ったラトビアを今でも思い出す。

この記事ではラトビアでの日々を写真を交えながら振り返る。

ラトビアへの派遣

ラトビアはロシアの西側に位置し「バルト三国」の中央に位置する。首都はリガ。公用語ラトビア語。英語は得意ではなかったような気がする。(どの口が言うてんねん)

家族にもラトビア行くことを伝えていたが、ラトビア中南米にあると思っていたらしい。ヨーロッパです。ロシアの左です。

途中経由したロサンゼルス国際空港で入国拒否された話や、ラトビアで地下にある看板のないお店に入ると番犬ドーベルマンが2匹構えていた話は残念ではあるが割愛する。

なぜロサンゼルスを経由したかと言うと、研修生としてメキシコに行っていたが、ラトビアでのオペレーションが遅れているとして、ラトビアに横滑りで派遣されたのだ。他にも日本の本社、欧州拠点、他の現地法人合わせて総勢6名派遣されたと思う。

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現地法人の社長から「ラトビアでのオペレーションが遅れているらしい、言いたいことわかるか?」と言われ、あっさり派遣が決まった。

 

ラトビアに到着

メキシコ研修先の空港✈ロサンゼルス国際空港(乗り継ぎ時間10時間:空港を出てアメリカ駐在員と合流)✈✈✈フランクフルト国際空港(乗り継ぎ時間8時間:空港内でカフェをハシゴして時間潰し)✈リガ国際空港

泣ける乗り継ぎ待ちと長距離フライトでいつかの朝メキシコを出て、いつかの夜ラトビアに到着した。時差もあり翌日なのか翌々日なのかはわからない。

欧州駐在員が空港まで迎えに来てくれてホテルにチェックイン。

ラトビアに着いたのは10月初旬だったが既に寒かった。夜に着いたので周りの風景はよくわからない。

ラトビアでのオペレーションは2交代制を取っていて、私たちは夕方から深夜の勤務になる、15時にロビーに集合で、と告げられる。

 

ラトビア生活の始まり

翌日、勤務まで時間があるので近くを散歩した。

やはり肌寒かった。

ラトビアで最初に取った1枚。

このレンガ造りの建物が何かはわからない。

肌寒くはあったが景色は秋の様子だった。

ホテルの近くにスーパーがあり、軽食や帰宅後のビールは簡単に調達できた。毎晩同じく派遣されてきた同期と部屋飲みしていた。CESUというビールが美味しかった。さんま蒲焼き缶は持ってきた貴重な日本食だ。簡単に手を付けるわけにはいかない。

冷蔵庫にはお酒常備

ラトビアで何をしていたかは前職のことでもあるので詳細は書かず、「オペレーション」とだけ行っておく。決して怪しい仕事ではない。

 

週末は街の散策や観光へ

土日は休みだったので応援部隊みんなで街に出たりした。

街はとても美しかった。

恐らくこれまでの人生で最も美しい街だった。

リガの象徴とも言えるブラックヘッドハウス

リガ旧市街

リガ旧市街

夜のブラックヘッドハウス

 

市場に行ったりもした。

この市場は世界遺産にも登録されている。

リガ中央市

何かわからない野菜か果物

何かわからない魚(鮭はわかる)

トゥライダ城にも行った。

どこにある何の城かはわからない。

トゥライダ城

 

自由を求めて自力で外出

応援部隊みんなで車1台だったので基本的に月曜日から日曜日まで集団行動だった。街に出るのも、ショッピングモールに買い物に行くのも、外食しに行くのも全て集団行動。

それが段々嫌になり、自由を求めて一度1人で街に出た。

ホテルのフロントに街までの行き方を紙に書いてもらってバスに乗って行ってみた。

ホテルを出ると電波が繋がらないオフラインのお出掛けだ。

その時にまた素敵な思い出ができた。

その日は広場でビートルズの曲を演奏するイベントが開催されていた。

ブラックヘッドハウス前でも演奏している人がいた。美しい街のシンと澄み渡る空気の中、美しい音色が響き渡り心に染みた。感動した。

Daugava川
(淀川RIVERみたいなこと言ってるかも知れない)

Daugava川を渡る路面電車

旧市街の脇を流れるDaugava川。

路面電車がレトロで何か『千と千尋の神隠し』に出てくる電車を思い出させた。悠久の美しさを感じた。

 

この1人でお出かけした際に買った🐻の縫いぐるみは当時は友人だった妻にお土産として渡して今も家族で大切にされている。この時ラトビアから妻に送った手紙は今も持ってくれているのかしら。

集団行動ではできないお出掛けとなった。

 

季節は冬へ移り、帰任へ

ラトビア入りしたのが10月初め。

ラトビアを出たのは確か11月初めだったが、その頃には空気は完全に冬でとても寒かった。シンシンと冷える空気をしていた。

そうそう、ラトビア✈フランクフルト便は出発前に飛行機に凍結防止剤を掛けていたくらいだ。

 

「何かわからない」が多くて恐縮ではあるが、いきなり「行け」と言われて行って、ガイドブックも何もなく、ホテルを出ればWi-Fiなくてスマホは使えず、周りはラトビア語で訳がわからない環境だったことをご承知おきたい。

敢えて気合い入れて調べたりせず、偶然出会うものに出会ったり成り行きを楽しみたかったのもある。

(労働が不規則な時間で肉体労働もあって体力的にもしんどく調べる余裕などなかったのが大きいかも知れない。)

しかし、風景や料理の写真をもっと残しておけば良かったと激しく後悔している。

あと、海外にいた時こそブログをしていれば良かったとも後悔している。今しかできない経験をしていたのだから。後悔先に立たずである。

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ラトビアへの派遣後はロサンゼルス支店での研修、それは天国であった。

帰路のフランクフルト-ロサンゼルス便で初A380搭乗

また海外生活の話書きます👋