iPhoneはもはや中高生の制服みたいなもの?Appleのコト売り戦略

中高生のiPhone事情

職場で次の記事が話題になった。

news.yahoo.co.jp

元はXで論争になったようだ。

みなさんご存知だっただろうか。

 

iPhoneユーザーなら半ば当たり前の話かも知れないがAndroidユーザー(社用スマホ除く)+子どもを持つ親の私にとってはとても興味深い内容だった。

大人からすれば「エアドロできんかったら仲間外れってなんやねん」と思うところだが、子ども同士の友達関係や子どもにスマホを持たせる親にとっては深刻な話なのだろう。その上、iPhoneは高額なので親としては懐事情も深刻である。

 

 

制服のようにまとうiPhone

日本人はもとより「みんなと一緒」を好むし、同調意識が高い。

前に倣え、長いものに巻かれろ、出る杭は打たれる世の中だ。

みんなで制服を着て統一感を出すように、スマホのみならず持つアイテムもまた「みんなと一緒」に安心し、持たざるに疎外感を感じ、浮いてしまうこそさえある。ゆえに流行り始めるとものすごく早い。

「個性出していこうぜ、個性。」と思ってしまうが、子どもの頃の私もまた仲間外れにはなりたくないし、「みんなと一緒」を好んでいたことだろう。

 

昔、赤外線通信してたようなもんか。(世代😂)

「写真Facebookにあげといて!タグ付けしといてや!」と言ってた時代もあったか。(世代😂)

 

時代時代で違いこそあれど繋がり合うことを求めているのだ。

その「繋がり合い」と言う意味で、iOSが築くテクノロジーのプラットフォームが現代における中高生の有機的なコミュニティのプラットフォームの重要な要素になっているのだろう。

 

 

iPhoneの「コト売り」

スマホに関して特筆すべきはiPhone、延いてはApple製品のモノ売りではなくコト売りにあるのだろうと常々感じている。

例えば「キレイな写真を撮れる『モノ』」としてだけでなく、エアドロップにより「その場で友達同士思い出をシェアする『体験』」を提供する。大容量の写真はiCloudに吸い込まれて行き「膨大なデータ量を『保管』」でき、更には「iPhone買い替えても容易に引き継げる『便利さ』」も提供する。それもご丁寧に設定変えない限り写真は独自の"HEIC"形式で。

 

 

妻が享受するiPhoneの付加価値

妻はiPhoneユーザーだが、子どもたちを映した無数の写真をテラ単位のiCloudストレージに保存している。「同じ写真何枚残してるん」と聞くが「ちょっとずつ違う」らしい。

妻がiPhoneからiPhoneに買い替えるのは「使い慣れているから」ではなく、もはや他所へその膨大なデータ移行するハードルが高すぎ、他に乗り換えようがないように感じる。

 

妻のようなユーザーはきっと多いと思う。

iPhoneはスムーズな連携を提供し、Appleはその対価として安定的・継続的な収益をサブスクとして得られる。

 

 

OSをめぐるプラットフォーム覇権争い

AndroidだってGoogleドライブやらGoogleフォトがある。

しかし、AndroidはそのOSに色んなメーカーが相乗りして共存している。それに対して、iOSの凄いところは独自の写真形式などを織り交ぜながらApple一社でそのプラットフォームを形成していることだ。

 

日本においてiPhoneのシェアが高い。大人であればお互い違うOSを使っていても、通信費を気にせずラインで写真を共有するなど手段が増えて如何様にでもなる。しかし、学生にはiOSが築くプラットフォームがコミュニティの重要な要素になっているのだろう。

 

 

「持たせる」「持たせない」問題

我が家は上の子もまだピチピチの保育園児でスマホを持たせるのはまだまだ先のように感じている。

しかし、週末夕方の公園では小学生グループでさえ、みんなでスマホイジる光景見ると世代の差を感じる。また、数万円もするであろうスマホが無造作に放置したまま遊んでいると「おいおい、大丈夫かよ。メキシコなら数分絶たぬうちにで盗まれちゃうぞ。」って思ってしまう。

 

その光景に我が子もいる日が必ず来る。

自分の子が友達同士で遊びに行かせる日までに、今の「時代」を知らないといけないかもしれない。そして、「持たせる」「持たせない」問題に直面するのであろう。

みなさんの家庭で直面した問題についてお伺いしたいものである。